気分転換。

スタイルシートを弄くってみた,“スタイルシート”の根本的な意味はよく分かっていないものの。あー腰痛ぇ,と。


閑話休題,岸和田の児童虐待事件に思うこと。

児童虐待とか精神・人格に問題のある人の奇行などが“ある程度”顕在化したときの,公的機関の介入能力とその制限があまりにも旧態依然としている。周辺住民が「あのひとはちょっと“おかしすぎる”行動をしている」と認識したときに,公的機関に連絡が行くのだが,その行動をしている本人および家族への介入があまりにも遅すぎる。

以前仕事をしていたところは,大体その手のおかしな行動をする市民に関する相談窓口になっていたが,その窓口で働いている専門家がそれらのケースを結構放置していることに驚いた。で,なんであやしいと分かってて対応しないんですか?と尋ねたときの返答は概ね以下のとおりだった。つまり,基本的に一般市民から通報されたケースについては,そのケース本人およびその身内が“自分から”申し出て来ないことには窓口側が自発的に介入することは出来ない,警察沙汰レベルにならないと自発的に介入出来ない,ということだった。

でも“自分から”相談してくるようなケースはそもそも事件に発展するようなことはないし,警察沙汰になった場合はもう取り返しがつかないケースが多い,というのが現状である。もう対応するシステムそのものが破綻しているのだ。

もちろん「お隣りが大声で喧嘩してる,誰か怪我しそう,あぶない」くらいの一般市民の通報でその手の専門機関がすぐに対応してしまう,というのは行きすぎだと思うし,プライバシーの問題もあると思う。だが“おかしすぎる行動”をする人というのは,その兆候は明確で,一般市民からの通達があった時点でその本人の“周囲に”リサーチをかければ,介入すべきか否かについては専門家としての一致した見解が認められるものだ。岸和田の例は周辺住民だけでなく,学校側すら“おかしい”と考えていた。その時点で専門機関が介入できるシステムを作れないのだろうか。いつも公的機関は何やってたんだ!という非難と,対応のどこに問題があったのか,については言及されるけれど,それを教訓としたシステムが一向に出来あがらないことが一番問題だと思う。