雑感(追記)

見ているドラマに言いがかりのような発言をして,自分で気分悪くなったので雑感を。


ドラマの伏線が機能するタイム・ラグというのはどれくらいか,というのを考えた。たとえばオレンジデイズのいくつかの伏線。このニッキでも触れたけれど,

  • 萩尾沙絵が何故すべてのコミュニケーションを手話のみで行なうのか?数年前までは聴覚に障害がなかったのだから音声言語の構音の方法は知っているはずなので,少なくともエンコードに普通の声を使わないのは不便でならないはず。なぜ頑なに発話しないのか?
  • 相田翔平の妹の足の悪さや母親の男癖の悪さはストーリーや自分語りにどのように関わってくるのか?

という伏線に対して,実はもう解答が出ている。それぞれ

  • 聴力を失った直後に声を出したけれど,そのときに不自然な構音をしてしまい周囲に注目されたというトラウマから。
  • 小沢茜が転んで足をくじいたときに,母・妹のことへの言及があった。

という感じ。特に理由づけとして不自然さはないけれど,とても気になる部分がある。


その伏線に対する解答の早さだ。

ほとんど間をおかずに矢継ぎ早に解答が与えられてくる感じがしてならない。それぞれの伏線がエピソードとして出てきてからほとんど次の回で解答が提示されてしまう。そしてストーリーの展開は新しい登場人物を軸にしてどんどん進んでしまう。多分何処か二回分のストーリーを追いかけるだけでドラマの全体像を把握するのに事足りてしまうだろう。まぁミステリーではないから,伏線よりも登場人物のココロの機微に見惚れてください,と言われればそれまでなのだけれど。正直そういう“伏線の安易さ”に辟易してしまう。ドラマの味付けを決める重要な要素だと思うんだけれどなぁ,と。


最近のドラマにおける伏線が効果的に視聴者に伝わるには,その結果や理由づけを私が考えているよりずっと短いスパンで与えないと伝わらないのかも知れない,とふと思った。ワンクールのドラマを視聴者に続けて見させるには,瑣末な伏線を引っ張ることよりも,一話一話の繋がりだけで解き明かされる種明かしと,連続して展開するストーリーで組み立てた方が効率的なのかも知れない。脚本家も原稿書くのに長期的なプロットを組む必要ないだろうし。休日の21:00代だから見忘れてついて行けなくなる人を最小限に止めるため,とか,近年の若年層のメモリースパンの狭さ(笑)に対応してストーリーも短く分断しているのかも知れないですしね。


でもはっきり言ってそういうドラマはつまらないと思います。まだストーリー半分だからこれから色々物語にギミックがあることを願いつつ,感想文でした(本編にあまり絡まない伏線を端折ったり,伏線の手駒を沢山作っておいて使えそうなものだけ消化する,という作品作りは論外)。



私が見たストーリーの中で一番伏線が際立っていたのは,『フォー・ルームズ』という映画の,タランティーノが監督(だったのかな?)の最後のストーリー。多分15分くらいの作品ですが,最後の最後でそれまでの伏線―にすらなってなさそうな色々―がすべて昇華される,という。ドラマの伏線と比べるのはあまりにもな,ある種“一発芸”みたいな感じだけれど,演出のタラタラ感までもが伏線になっているという稀有の作品だなぁ,と。