ふと気づく,私の周囲の人たちがとても礼儀正しく話をしていることに。

姿勢正しくお辞儀をする,汚い単語を嫌い丁寧に言葉を選ぶ,話題もごく限られたものが厳選されて,語られることは正論と事実だけ,誰も傷つけない傷つかない,「では。」という合図と共に静かに元の世界に戻る。

具体的に表現してみようと思ったのだけれど,文章にすると上手く行かない。多分ノンバーバル(非言語的)に語られるものだからだろう。そう,文章にすると何処にも違和感がない会話になる。



そういう会話に最初気づいたときは,「ふぅん,こういう会話のやり方も本当に存在するんだなぁ。ドラマみたいだ。」くらいに思った。

でも最近,居心地の悪さを感じる。すごくクタクタになっているときやとてもおなかの減っているときに,シートがふんわりしててサスペンションが柔らかい,カーブを曲がる度にゆりかごに揺られる気がする3ナンバーの自動車に乗ってしまった感じがする。気持ち悪くなってしまったり,無理に逆方向に体を向けて,自分のスタンスを保とうとするような。





こんなこと言っても仕方ないけど,少し前まではこんな会話はなかった。

―現実世界の私を知ってる人はあまり信用しないかもしれないけど―私は自分が話すより,ひとの話を聞く側に回ることが多くて。そんなとき,その会話が丁寧に語られなくても,私を非難するような発言が混じっていても,今みたいな違和感は感じなかった気がする。

そのときの会話は今と比べたらずっと私的でストレートで,そして切実に聞き手の返答が求められてた。



クラスの女の子が好きで,でもその子の話し方とか考え方とかの傾向で勘に触るところもあって,それが何故なのか?それでも好きで好きで止まらないのは矛盾することではないよな?第3者の視点から見てどう思う?ということを熱くあつく語られたり。

あなたが私に好意があるのは分かるけれど−それはその時点では半分当たってて半分は保留または勘違いだった−私は誰にも話していない秘密があるから…と言って黙る。それは単なる前フリで,結局すべて話したくて仕方のない相手がそこにいて,私も真剣に次の言葉を待つ。

自分の将来に対してそこはかとない不安を抱えている,何を言っても今の状況は変わらないのは分かっているけれど,その不安を語れる分かってくれる相手がいて,でも暗い雰囲気にはしたくなくて,お互い「バカらしい」と分かってもそれをくだらない冗談,それも同世代や同じ小説や音楽を読んだり聴いたりしてる人同士にしか分からないタイプの冗談を交えながら茶化して話す.



そんなとき会話のひとつひとつは,礼儀正しさのカケラもなかった。ルールも美しさも要約も推論もなかった。そして,どんなに真剣に聞いても疲れなかった。返答するときに,本当に自分で感じた事だけを伝えていれば良かった。





「こんなことどうでもいいこと」と言い切ってしまうのは簡単だから,文章化してみる。失敗作のベーグルをつまみながら,ビールを飲んでキーボードをカタカタ。