テレキャス久しぶりニッキ。


去年初めから今年にかけて,自分の部屋が大きく様変わりした。テレビとビデオが増えたり,10数年使い続けたステレオを新しく購入したとか,自分のエレキギターを初めて手に入れたとか。

そして昨日,家にソファーがやって来た。

購入するのを決めた理由は,一昨年得た教訓(ネットで見つけた欲しいものは迷わず買え!)と,部屋に居る時間がやたらと長いので絶対無駄にならないという確信があったから。



そう考えると,自宅にいる時間が長くなったなぁとしみじみ思う。

前に住んでいた東京のアパートは『歴史的建造物というにはちょっと新し目だけれど,鉄筋コンクリートで建造された住居としては価値ある古さ』というところでした。壁のモルタルはちょっと崩れかけててポスターとかは絶対張れない,キッチンの換気扇は入居した時点で大掃除が必要なくらい脂っこい,ふすまは上手にやらないと閉まらない,といった按配。まぁ生活するうちに“自分ンち”として落ち着く空間にはなったし,驚くほど人の集まる場所だった。来る人が「なんかさωくんの家でくつろぐと,帰るの嫌になるくらい和むよね?」と言ってたのは印象的。積極的に友達を作ろうとしないタチなのに遊んでくれる人が多かったのは,以外とあのアパートのせいだったのでは,と思うと今更ながら感謝してしまう。

でも,かれこれ6年半も引越ししなかったにも関わらず,自分の部屋としての愛着みたいなのはなかった気がするし,自宅にいる時間もそれ程長くなかった。自由に生活リズム・パターンを決められる様になった一番初めの時期だったから,時間があれば誰かと一緒だったし,自分独りだって外を出歩いていた。もっとも20代前半なんて意味もなく外にいるのが楽しくて,自宅になんか居られない,みんなそんなものかもしれないけれど。



その頃から比べると,部屋で変哲のない生活を坦々とこなす時間が増えた。

ちょっと前みたいに誰かと一緒なら・どこかに出掛ければ何か新しいこと・楽しいことが起きる予感−いま考えると誰かとどこかに出歩いてたのはこのワクワク感のせいだ−は無くなった,というか,そんなに楽天的には時間は過ぎて行かないことを知ったのだと思う。自分のためだけの部屋の色々に包まれること,感動も驚愕もないけれど途方に暮れることも悲しいのを我慢して笑っていなければならないこともない静かな時間を,実は無意識に求めているのかも知れない。





自分の部屋にはちょっと大き過ぎるソファーに横になって好きな作家の小説を読んでいると,なんだか急に老けこんだ気がする日曜の午後で。