最近自分で認識できるくらいアルコールへの嗜好が変化している。“寝る前に一杯”という飲酒サイクルとその種類が,数年前の父と同じになってきたことに,DNAとか遺伝とか学習環境とかそんな色々を感じずにはいられない昨今。



でも父は,ものの考え方とか性格など私とは全然違うタイプの人だと思う。そしてそこだけはこれからもきっと似ないだろうな,とも思う。

(友人に話して笑われたことがあったけれど)実家に帰省したときの話。私が大学生のとき,やりたかった勉強について父と話をすることがあった。当時はまだ自分の信条みたいなものを恥ずかしげもなく表現できるくらい世の中と自分の力量を分かってなくて。その会話の最中の父の一言は今でも記憶に残っている。


「で,それは世の中でどんな風に役に立つんだ?」


そのときの私の信条とは『世の中の役に立たないことでメシをくっちゃる』で,私はどう転んでも父のようにはなれないな…と確信した憶えがある。多分それから冗談抜きに父親を尊敬するようになったとも思う。『世の中の役に立たない…』という,世の中を小馬鹿にした信条はさすがにもう持っていないにしても,『“自分以外の正しい何かのために”行動する』という発想は未だに持てない。


それでも,好むもの・ことのいくつかは少しずつ父に似てきていると感じざるを得ない。休日に部屋で本を読んで静かに過ごすこととか,そういえば日記をつけることも(もっとも私のは日記というにはいささかアレだけれど)。



まだ実家にいた頃,寝る前に台所に目をやると,必ず水を注いだ水割りグラスがシンクの上に置いてあった。洗い桶の中に入れておくとグラスが見えなくて,がさつな母が食器洗いのときに割ってしまう(そのうえ怒る)ので,いつのまにかそんな習慣が父の身についていた。かすかに香るアルコールの匂いが苦手で,なんであんなもの文句言われながらも毎晩飲むんだろう?と不思議だった。

父は数年前に体調を崩してから,寝酒を控えるようになった。独り暮しの私のとこのシンクには,水を注いだ安物のグラスが代わりに置かれるようになった。