小学校からの友人が先週末結婚した。地元で生活している二人が結婚するので,“田舎の”結婚式になることは容易に予想できたけれど,あるイミ感動的だった。



【結婚式にて】

■進行を務める神父さんが,NHK大河ドラマの『信長』にて宣教師ルイスフロイス役の人の声に聞こえて楽しくなる(あてぶれーで・おぶりがーど♪)。
■参列者が総勢120人くらいいる盛大な結婚式だったのですが,その受付を担当したのが私の幼馴染み友人の“もっとも頼りない”二人でした。必然的に受付が長蛇の列,二人は顔面蒼白で対応してました。


【披露宴にて】

■新郎の会社の社長が挨拶するも,驚くほど緊張。
■新婦の上司が挨拶,行政における昨今の福祉事業の発展を懇々と語る。あーいう空気の読めない人は管理職にしちゃいけないと思います。
■新郎の親戚のオッサンが浪曲を披露。
■新郎の友人がダンスを披露したのだけれど,最後にやったのが志村けんの『ウンジャラゲ』。
■新婦の友人らがモーニング娘。の結婚ソングを唄う。さらに間奏の台詞部分が本人らのプロフィールに置き換えられていた。
■新郎の参列の挨拶が教科書に書かれたような文章−皆様大変お忙しい中ご列席頂き,誠にありがとうございました云々−で大笑い。我々小・中学校の友人テーブルから「おぃをぃヒッくん,かてぇーんべなぁー!(注:群馬弁で「ねぇヒッくん,堅すぎない?」の意)」といった野次が飛ぶが,新郎の母親が一番笑いをこらえてたのが印象的。


【二次会にて】

■ビンゴゲームしてる!
王様ゲームっぽいことしてる!
■しかも「男子10番が女子3番にゴハンを食べさせて貰う!(いぇーい!)」とは!



ともかく楽しかったです。





閑話休題

結婚式にまつわる色々はひと段落して,仲のよい友人(受付してた二人)宅でビデオを見つつ,近況などを話した。今回結婚したのは一昨年の年末ニッキに出てきた人々のひとりで,単なる友人の結婚に対する喜びより“身近な人が自分だけの新しい家族を持つ”ことの不思議さ,といった感情のほうが強い。我々の世代にとっては−私はともかくとして−その『結婚』というイベントが単なる他人事でない時期にさしかかっているせいかも知れない。

いや,そうじゃない。イベントに関係なく私達はもう無鉄砲な20代を越えようとしている,というごく当たり前のクロニクルな事実に気持ちが全く馴染んでいない,ということだ。体とか行動の仕方とか,そういうものは多分ちゃんと時系列に変化して,それぞれが気づかないうちに馴染んでしまっているのにも関わらず。



もう結婚をした同期の人々は,お互いの奥さん同士が仲良しなせいで「もう飲み会で無茶もできねぇんべーよ?バレちゃぁしょうがねぇんべなぁ,なぁ?」と言い合っている。そんな横顔は確実に“地元の夏祭りをを主催していた威勢のいいおじさん”に似てきていた。

小・中学校時代かなり親しく,予備校も一緒に通った−正確には“学費を払わないでモグリで受講した”−友人の話し方は,昔の偏屈さは何処かに消えていた。5年ぶりに再会した彼は,ベンチャー企業の営業としての語り方が板に付いていた。自分の会社のアンチウィルスソフトのウリを分かりやすく語る彼の一人称は,「…と僕は思うんだよね。」とやさしい響きに変わっていた。

たまたま新婦の友人の中に中学校の同級生が参列していた。2次会に生まれたばかりの子供を連れてきた彼女が,他の友人が我が子を抱っこしてあやしているのを眼を細めて眺めている姿は,母親としてのオーラを纏っていた。

さすがに就職はしたものの,自分の目標の資格がまだ取得出来ない友人は,「仕事しながら勉強するのって中々大変だってつくづく思う。ちゃんとさωチャンみたいに学生のときに勉強すれば良かったって思うよホント。」と。でも本当に切羽詰っているのは彼女との関係のほうで,『周囲はせっつくけれど,こんなじゃ結婚するにもねぇ…』という行間が散りばめられている,誰も指摘しないけれど。



気持ちが馴染んでないのは私だけかもしれない。そしてこんなことを考える時間が無いくらいみんなの生活は流れているんだ,と納得する。そして自分が言われたのは,こんな一言だった。



「声変わったね?静かに話すようになった。」
「そうかな?」
「ほら。」