先日,突然飲み会が開催された。テーマはおとなりの研究室の後輩君の失恋レストランな内容を肴に,というものだったらしい。なんで“らしい”などと思わせぶりな書き方をするかというと,私は参加しなかったから(アタマ痛くてバッファ●ンを飲んだ後に連絡があったので,アルコォルを服用したらきっと『マリカのソファー(吉本ばなな著)』になるなーと思ったので,涙を飲んで断ったためでした)。

さて本題はそこではなく。


その翌日の学校帰りに,昨日の話の余韻を楽しみつつ知恵熱を冷まそうか,と思ってお隣りの研究室に顔を出したときのこと。どうやらその失恋話は昨日はじめて出て来たものではなく,週末に開催された研究室合宿の飲み会の席でも既に話題になってた様子。じゃみんな知ってるんだー?と訊いてみると,ひとりの同僚(♀)が「や,私その手の話興味ないんで聞いてないんです。」と割とつれない感じで言っていた。

ふーん,とそのときは普通に聞き流したけれど,家でパスタ茹でながら考えた。お酒の肴にする話としては,『恋愛話』って一番無難なものだよなぁと。無難だと考えた理由は,誰でも好きなスタンスで参加できる,誰がどんな意見を言っても正解がないので論争になって収束しなくても後腐れがない,ということ。共通の知識がないと会話自体が成立しない歴史の話とか趣味の話よりはずっと一般性があるのになぁ自分の体験談も交えて発言しないといけないからというのならまぁ黙ってれば?というものだしなぁじゃぁ結婚式の新郎新婦のなれそめの話なども苦々しくきいているのかしらん…などと色々と思いつきながら,



『その手の話』に興味がないのではなくて『その話し手』に興味がないんだな,うん



と納得した。多分本人に問い詰めたところで「ちがいますって!」と“礼儀正しく”否定されるだろうけれど(そう考えると納得できるほかの事実がちらほら)。

どんなに言い回しを変えたところで何処かしらに本心というのが顕れてしまい,私のような比較的思考の遅い人間にすらじっくり考えれば気づかれてしまうもので。私見を述べるときには,ホントに思っていることを正しく言うこと,思っていても伝えるべきではない内容は無理して表現する必要はないこと,を改めて認識しましたとさ。ウチの母幸子(54)が「思ってても黙ってるのが一番カシコイの!」と言ってたのをふと思い出した。