まっとうなパスタが食べたい,と思う。



近未来型地方都市に移り住んでからというもの,フラリと立ち寄れる食堂が近所になくなってしまった。この街はちょっと外食するにしても―ものの500メートルくらいのところでも―車で出かけてしまうので,まともな調理法・まっとうな値段で食事を提供してくれる店が方々に拡散してしまっている。で,車を持ってる友人と一緒に食事,となるとどうしてもラーメン,とか大勢で取り分ける中華,焼肉といった類になってしまうので,「ちょっとイタリアンしませんこと?」という『コスモポリタン』読んでる丸ノ内OL風な発想は受け入れてもらえないのである。

私が“OL”という単語を使うとき,定冠詞的に“『コスモポリタン』読んでそうな”というのを良くつけますが,これは“普通に頑張っているOLさん”と区別するために使ってます。勿論実際この雑誌読んでる人みんなが“普通に頑張っているOLさん”と対極にいるわけではない!という主張もあるかと存じますがまぁそこは雰囲気で察してください。私は普通に頑張っている方のOLさんとお付き合いしたいです(カミングアウト)。





閑話休題,パスタの話だ。

昔私が住んでいた東京の国分寺は,中央線沿線らしく外食産業が良心的な発展を遂げる地域だった。簡単にいえば『んまい店は繁盛して,マズイ店は潰れる』ということ。駅前に住んでいたせいもあり,色々な栄子盛衰を見てきたものでした。あぁこのスープの作り方じゃ長くはないな,とか,やっぱりなぁ立地のせいもあるけれど入りづらい店構えだもんな,とか。

そんな中,店舗が奥まっているのと値段がちょっと“高そう”な雰囲気のせいで,他の店と比べてもすごく美味しいのだけれどそれ程繁盛していないイタリアンの店があった(てか今でもあるのかなぁ)。ヒゲのシェフとコックさんが4人(だったっけ?),普通のおねぇさんがウェイトレスをしている至って家庭的なイタリアンの店で,値段もとても良心的だった。というかランチタイム・サービスの『パスタの量は小・中・大盛りすべて同額です』とメニューに書いてあるところから察して欲しい。でも察しようとすると,そういう量メインで売ろうとしている店にありがちな“田舎に帰ったときの食事ががめ煮とかちらし寿司ばっかりで洋食が恋しくなったときにばぁちゃんがあらん限りのよーろっぱのイメージとで作ったすぱげってぃ”を想像してしまうだろう。



でもこれが違うんだな,至極まっとうなイタリアン。

カウンター席にひとりで座るときは,厨房を覗き込みながらどんな調理法をしているんだろう,と良く観察してた。料理は見て盗め!というのは昔気質の頑固な料理人の発言だと思ってたけれど,見ないと分からないことの方が多いんだなぁとつくづく感じたものだった。アンチョビってそのまま乗っける以外にもあんな風に使ってるんだ,とか,ローズマリーなんてテキトーに使うのかと思ってたけれどきのこと相性良いんだな,とか,パスタは具と“炒める”というよりは“和える”なんだな,とか。

凝り性の私は週に2〜3回通い詰めてた時期があって,その度に厨房を覗きこんでいるのがバレてたらしくて。ある日当時付き合ってた彼女以外の女友達と一緒に行ったら,いつもは厨房で作業しているおヒゲのシェフが会計に出てきて,ニッコリと微笑みながら「いつもご贔屓にして頂きありがとうございます。またお待ちしています。」と挨拶されたこともあった。シェフが何を思ったのかは知る由もないけれど,ちょっと恥ずかしくて「や,この彼女は友達でして…」と言い訳したくなった。



何故か分からないけれどイタリアンの店はあまり強烈な『店のニオイ』というのがない。勿論店内を清潔にしているから,というのもあるだろうけれど,あんまりニオイが拡散しない料理なのかな,とも思う。でもその店のカウンター席につくと,いろんなニオイが厨房の方から直接やってきたのを憶えている。バジリコのオーダーが入るとニンニクとバジルをオリーブオイルで炒める香ばしいニオイが,魚介の魔女風を作るときはイタリアン・ホールトマトに火を入れたときの甘酸っぱい香りが,そしてパスタを茹でるときの独特の小麦粉のニオイが。



あーパスタ食べたい食べたい食べたい。

  • 追記:店名は『メランツァーネ』,国分寺駅南口で歩道に黒板出してる店です。おヒゲのシェフが健在であることを祈っていますダイスキ。
【きょうの箴言名言】さω(仮名:29歳♂)の独り言より
「あれっこのわさび,化学のアジがする…」