相手の返答を必要としていないメール,というのがあることに最近気づいた。



特に取りたてて用件がある訳ではなく,メールの内容はとりとめのない日常の雑感や周囲の人間関係の愚痴など。まぁそれだけならば別に親密なメールのやり取りなのだけれど,こちらがレスを付けた内容は特に読みもしないで―そんな風に感じる文面,というだけだけれど―また新しい雑感を送ってくる。以前の内容にまったくといっていいほど関係なく。やっていることは個人的な親密なコミュニケーションのはずだけれど,会話にすれば確実にかみ合ってないやり取り。

メールに対する返答がメンド臭いため,こころ其処にない文面になる,というのとはちょっと違う気がする。テキトーでない何かを伝えたい意志があるけれど,それに対する返答や意見は全く求めていない。なにより用件もないのにメールを送ってくるのは相手のほうで。

それってWEB日記でやっていることと本質的に同じことではないか?とも考えたのだけれど,やっぱり質が少し違うと思う。うまく表現できないけれど,WEB日記よりも読み手のことを考えていない,気を遣っていないように感じるのだ。不特定多数が読む可能性のあるWEBニッキがその不特定多数を―自意識過剰なほど―意識していて,個人的に送信するメールが相手のことを全然意識していない,というのも奇妙な話だけれど。


そういうメールを貰ってどう感じるか?といえば。とりたてて不快感があるのではなく,私は自分のルールに従ってなるべく丁寧に返信はするのだけれど,あぁきっと私がなにを考えたのか,共感したのか,意見があるのか云々…はたぶん関係なくて,メールを相手が送った時点でその主たる目的は達成されているんだなぁと考えながらパタパタ文章を推敲する。

そしてふと思い出す。こんなメールを送ってくる人は,よく考えたら実際に会話していても,自分のことだけ話して終わる人だったな,と。対面してそういう会話のやり方をされると(仕事として深いディスカッションを必要とするような相手だったので)不快そのものだったけれど,こうしてもう顔を合わせることもなくなって,思いついたときにメールを送ってくる相手に変化してからは,その毒気はほとんど抜けている。


そういうメールを貰うと,自分が古井戸にでもなった気がしてくる。何も返事をしないで,只ただ吸い込まれることだけを望まれているような,そんな。



キッチンでうんまいから揚げの揚げ方を思考錯誤しながら,そんなことを考えていた。